このコーナーは地元・高円寺の賑わいを支える人たちを紹介します。
栄えある第1回は座・高円寺地域協議会の会長である髙橋新一郎さんにお話を聞きました。
(聞き手:疋田)
生まれたときからずっと高円寺だよ!
昭和4年に生まれて小学校も高円寺。昔は学校ではなんでも生年月日順でね、ぼくは3月30日生まれだから常に一番最後だったなぁ。
ぼくの家は米屋でね、おやじが2代目。昔は米屋の若い衆はお米を2斗のせて自転車で有楽町まで運んでたんだよ。赤羽も自転車で行ったなぁ。
23~4歳のころ結核を患って4年も入院したので、高円寺を動けず。結果、米屋を継ぎました(笑)
おやじからはいつも「(病気のあとの)お前の人生は付録。まじめに生きて、一生懸命、社会にお返しを」と言われてね。地域では民生委員(昭和48年から平成16年まで)や町会長(昭和61年から)もやってきました。
いま主だった活動は杉並区社会福祉協議会や青色申告会、町会関係といったところかな。そしてこの座・高円寺地域協議会(※)
高円寺はね、下町風なところがあるんだ。人情に厚い!
昔はお互いの家でごはんを食べるなんて、ざら!商売やだと親が店にでているので子どもたちはお互い食べに行っていた。大晦日なんて、いつもよその家でご飯をもらって、その足で初詣に連れてってもらっていた。そんな人情で育った人がいっぱいいる街。
もう何十年も前から高円寺北口再開発の話があってね、駅前に文化センターをつくる話もあったんだよ。反対やいろいろあって、なかなか進まなかったんだけど、機運が高まって、いま、「座・高円寺」ができた。「座・高円寺」は地域のみんなの努力の結果なんだ。
高円寺はたくさんひとが集まる街。ぜひ街を盛り上げてください!